
更新開きました、すいません。
ライジングサンの後にかわなべ夫妻が来たりして、ちょうど誕生日があったり、それを祝ってもらったり、呑んだな〜酒(笑)もし娯楽がトークンで人に決まった量を割り当てられているとしたら、この五日間で1年分の半分ぐらいつかっちゃったかも(笑)普段のうちらなんてすっげー地味だからさ、水で塩抜きしたたくわんみたいな顔でやっこをつまみながら砂利を噛むような暮らしをしてますので、よその風を持って来てくれる人、特にかわなべくんみたいなおもしろ伝道師みたいな人だとなおさらでさ、夜とか全然眠くならないんだよ〜。真夜中までみんなできゃっきゃ言って、花火の付録についてた<光がどらえもんの形に見えるメガネ>をかけて大騒ぎしたりしてさ、こ、こいつら、心底バカだわ〜(笑)俺も人のこと言えないけど、連中も中々なものですもな〜。これがこれからの日本を牽引していく世代だから(笑)安泰だべ?
ライジング?そうそう、かわなべくんのDJはもちろん今年は見たライブ全てがすばらしくてとても良かったです。だけどひとつだけというのなら安全地帯。その名前とは裏腹なかなり危険な領域まで足踏み入れた攻めたライブをしてました(笑)もちろんライブを全部見てないからわからないけど、もしかして一番気合いが入っていたのは彼らだったのかも。
え、えっ?から始まって、な、なんなの?これ、ど、どこにいきたいの?
そんな思いが見ている間ずーっと、もやーっと、胸にあって、だけど最後はちゃんとそれを着地させてくれるんだよな、だってここは安全地帯なんだから! なんて大船に乗ったつもりでいたら、結局どこにも着地させてもらえずに終わっちゃったデンジャラスゾーン、アマゾンの真ん中に放りこまれた子猫の気分(笑)
だから着地できなかったそのもやーっが今でも胸にあるよ。しんみりと。すごくない?そのパフォーマンス(笑)その「もやーっ」こそが玉置先生がクリエイトしたかったものに間違いないですから(笑)
でも、涙ぐんでる人もいたし、なんだかいいもん見たわ〜って感じ? で、自分の周りで見てた観客は、あっけにとられてる人はもちろん、爆笑してる人もいたし、感動している人もいたし、ざっくり言うとみんな大体自分と同じようなポジティブな感想だったと思うんですよ。ネガティブな感想な人ももちろん居たと思うし、それももちろんかまわなない。だけど自分が感じた範囲ではそれは多くはなかった。少なくともそういう空気ではなかった。ところが今そういうのすぐネットに書き込みあるじゃん?「安全地帯よかったわ〜」って俺が言ったら、知り合いが「えっ?ネットの中じゃボロクソってことになってるよ」って。
えっ!そうなの? 昨今の世の中のあの感じってこの感じなのか〜って!
つまり、ネットにボロクソに書くのは別にいいんだ。実際その現場に居ればそこにはいろんなバイブスがあったってことを知ってるから、ある意味バランス感のある感想になるはずなんだけど、ネットってその含みの部分がないから、色んな意見の中での小さな×をモニター全体に拡大して見せられたら、そこに居なかった人は簡単にライジング2015の安全地帯は×でしたってことになっちゃうんだよ。それが本当になっちゃう。そしてその×がどんどんデカくなっていったりするんだよ。雪解けの砂利道にできた小さな穴ぼこに雨水がたまって、どーしてこうなったの?つーくらいに巨大化するように。
これは怖いぜ。
だって繰り返すけどそこに起こってたことと全く違うもん。今更だけどやっぱりネットの中には本当のことってないんですよ。
この怖さって、まだ安全地帯のライブ評だからいいようなものの、ピンとこない? 最近の戦争解釈についての風潮。実際、体験していないからこそ、バランスの欠いた極端な考えに振れがちというその構図がさ、このネットの特性が根っこにあって、全部一緒なような気がするわ。
あんまりこういうこと書くとあれだかやめとく(笑)
で!
毎年この時期ってとうとう終わっちゃったなっていうタイミングで、「おう、スイートコーンとれたど!」コールが農家さんからかかってくるのが常でありまして「とうとう」と「いよいよ」が混ざった複雑な心境になるのが常なのであります。言うなれば、まつも、とうとう、いよいよ、49歳だから〜的な。
郷ひろみさんが昔「人生は50歳からだと思ってます!」ってラジオで言ってて、オラもなんだかわからないけど昔からそう思っててさ、「えっ?なんで俺と同じこと思ってるの?この人」と思ったんだけど、よくよく考えたら二人とも無意識に名前の中にGO(ご)が入ってるからそう思ったという、そういう単純なことだったんじゃないかなと(笑)
人生の準備期間もあと1年、実りの多い歳にしたいと思っております。どうぞよろしこタモリ〜。