

く、くろ、死んでる?っつーくらいぼさぼさ(笑)
オラ、猫はこの角度で見る口元が一番かわいいと思う。
前回「今日はゆっくりしようと思う」なんて書いてましたが、結局、ニンニクを収穫しました。なんてったって、オラ、じっとしていられないおじさんとして全国に指名手配されているからね。小学校の通知表の通信欄はいつも「落ち着きがない」でした。

ま、こんな感じでした。でも、これでいい方かな。毎年、ちょっとずつバージョンアップしているつもりだけど、ほぼ同じ方法で作っているのにもかかわらず、結構、出来が違うんですよ、実際。
根が全然しょっぱい時もあるし、どこかのスナックのママの脇毛のようにわっさ〜って生えているときもあるし、真っ赤な時もあるし、そうでない時もある。でも、味や香りについてはほとんどつーか、全く毎年一緒だと感じるので、もう、あんまり気にしないことにしてます。
あれは、なんの映画だったかな?
なんかの映画で、中年の男同士の友達の会話で「今度お互いビールでも飲みながら、ゆっくり家の屋根でも塗ろうや」みたいなセリフがあって。オラ、それ観て、そっか〜!そういうこともアリなのか〜ってショック受けたのですよ。
何にショックを受けたかというと、たとえばさ、自分に置き換えたとして、屋根の修理=めんどくさいもの、誰かが無料でやってくれるのなら是非やっていただきたいもの。つまり、直すという結果がすべてであり、その途中はどうでもいい。ところが、その過程すら楽しむということも、考えようによっては出来るんだなと。特にオラは結果の方に割りに目先が行ってしまうタイプなんですよね。
で、話がここで戻るんだけど、先日は完全に休むつもりだったので、午前中からビール飲んでたわけ。そのままニンニクをホロ酔いで掘ってみたんだども。
それが楽しいこと、楽しいこと(笑)
なんなんだろうな?完全に作業自体の意味合いがちがってきちゃうですよね。逆に集中力が増すような気もするし。出来不出来はともかく、掘ること自体が楽しくなる。やっぱね、どうせ、やくざなこのザ ハネモノ(モ)マーケット。これくらいユルくやらないと、やってる意味ないと思っちゃいましたよ。
俺は飲みながらやる農法だかんね(ドヤ顔で)
ここでオラ、生意気にもまたひとつ物申したい!やっぱね、現代はあまりに結果が全てという風潮が蔓延しすぎ。たとえば農業だって、何が一番重要って面積あたりの収量だけじゃん。どう作ったかなんて別にどうでもいいんですよ。でもちょっと問題があるな〜それ。だからね、これからは、いかに楽しく作ったか、その点が重要になる時代が、せーの!
来るわきゃねーだろ!(笑)
ま、だけどさ、結果だけ見て一喜一憂するのもいいけど、その過程も楽しめた方が絶対にいいわけで。それは自分への戒めの意味も込めて書きますけど。
そうだ、これは実際にあった話なんですが、オラが今より暇だったころ、夏の暑い最中、畑に出て作業していたら、近くで作業していたある農家さんに言われたんですよ。
「おまえはもう配達の仕事はもう終わったのか?おまえはいいわ。うらやましーもな。俺なんかこの歳でも、朝から晩まで働きずめだぞ」って。
ちょっとチクッとされてんだけど(笑)確かにそうだなってちょっと思った。だけどまてよ?
うらやましい立場と、うらやましがられている立場、その瞬間で切り取れば、やっていることは全く一緒じゃねぇの?。真夏の午後、炎天下の畑でお互い土にまみれている。どこが違うの?ということは、同じことやっていても、遊びになったり、労働になったりするわけじゃん?うらやましく思えたり、うらやましがられたりするわけじゃん?
つまり、どんな瞬間にも楽しくできる宝は絶対あるんですよ。
だって、遊びがあったり、労働があったりするんじゃなくて、遊びに思えたり、労働に思えたりってことでしょ?全部、自分の頭の中にあるんだよね。そりゃ、どう考えても楽しくなんか解釈できないというシチュエーションもあると思うけど、それでも宝はある。つーか、そう信じてる、オラは。
さ、後は君たち自身で考えるんだ(笑)
最後は脈略なく自分用のメモ。
鬼石灰。